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福岡地方裁判所飯塚支部 昭和31年(ヨ)65号 判決 1956年11月08日

申請人 白石市造 外五名

被申請人 飯塚市

主文

申請人等の本件申請はいずれもこれを却下する。

申請費用は申請人等の連帯負担とする。

事実

申請人等代理人は「別紙<省略>第一目録記載の土地に対する被申請人の占有を解き申請人等の委任する執行吏の保管に委す、被申請人は右土地の現状を変更してはならない」との判決を求めその理由として

第一、(一) 飯塚市鯰田字篠田千五百七十一番地雑種地二反五畝九歩(別紙目録記載中A、以下Aと略称する)は登記簿上右の如く雑種地となつているけれども現状は潅漑用溜池であつて右は同所同字千五百七十二番地溜池三反四畝二十七歩(別紙目録記載中B、以下Bと略称)と共に約二百年前その下方の別紙第二目録記載の田に配水するの目的で申請人等の五代位前の祖先が其の所有地に築堤したものであつて右ABは現在申請人等を含む同第二目録記載の土地の所有者とその小作人等の共有に属する土地である即ち、ABは数百年に渉り別紙第二目録記載の土地所有者及び小作者の共有とされ右土地の所有者又は小作者に変動があれば旧所有者旧小作者等はABの共有権を失い新所有者新小作者等に於て新にABの共有権を取得する慣習があり申請人等は先代以来右ABの共有権者となつたものである。

(二) 仮に然らずとするも申請人等を含む別紙第二目録記載の農地所有者小作人等は二百年前の先代以来本件ABを右農地の潅漑用の溜池として管理使用しこれに要する経費等をも右農地の所有者小作人等に於てこれを負担し今日に至つたものでその占有を始めるに当り善意無過失であつたのみならず所有の意思を以て平穏且公然に占有を継続してきたものであるから明治二十九年四月二十七日の民法発布日から起算し十年間を経過した明治三十九年四月二十八日に時効完成し結局本件ABは申請人等を含む右農地所有者及び小作人等の共有に帰したのである。

第二、(一) 仮りに本件ABにつき申請人等に共有権がないとしても右ABの溜池は申請人等を含む別紙第二目録記載の農地の所有者小作者等の右農地に附属する共同農業用施設としての入会地である従つて、申請人等はABの溜池に対しては共有の性質を有する入会権を有するものである。

(二) 仮りに然らずとするも申請人等は二百年以前から今日までABの溜池から別紙第二目録記載の農地の潅漑用水としてこれを使用して来たものであるからABの溜池に対しては地役権の性質を有する水利権を有するものである。

第三、しかるところ被申請人は約三年前より飯塚市内にオートレース場をつくると称し各種の紛争を経た後昭和三十一年十月十九日本件Aの溜池をオートレース場の敷地とする為申請人等及び其他の共有者の承諾なきに拘らず勝手にその整地工事によりかゝりAの潰廃に着手した被申請人の斯の如き行為は申請人等の右Aの溜池に対する共有権、又は入会権或は地役権的水利権を不法に侵害する不法行為であつて憲法第二十九条に違反し断じて許容さるべきものではない従つて一日も早くこれを阻止しなければAの溜池は消失し申請人等はその耕作している農地に引く水を失い耕作不能となりその日の生活に差支えること明らかである。

よつてこれを排除するため本件申請に及んだものであると陳述し

第四、次に被申請人の主張並に答弁に対し

一、被申請人は申立人等の本件申請は不適法である旨主張するけれども地方自治法第二百九条は旧市制第百十条旧町村制第九十条を受けついだ規定で右市制は明治四十四年法律第六十八号右町村制は同年法律第六十九号を以て夫々施行されたものである。更に右解釈に際しては明治二十一年四月十一日法律第一号を以て公布された市町村制を考慮して判断すべきところである。

即ち明治二十一年の市制町村制施行前から久しきにわたる慣行により住民が市町村所有の財産又は営造物につぎ使用権を有する場合においてその財産又は営造物の使用権を廃止変更する時の規定である、従つて右規定を適用せんとする範囲は財産又は営造物に関する使用権のみに限つていることは条文自体において明かであり、例えば古くから住民の一部が採薪刈秣の慣行を有する市町村有の山林牧野とか引水の権利を有する市町村有の溜池等が之に当るものであつて単純なる財政的財産の使用に関する法律関係は純然たる私法関係であつて一般私法によつて規律され右第二百九条の適用はないものである。

これを本件につき考えるにABはこれより配水を受ける農地所有者及び小作人の共有財産であつて被申請人が不法に右共有物の現状を破壊せんとしているから右共有権に基き右の排除を求めることを理由とする本件においては地方自治法第二百九条第二百十五条の適用はなく純然たる民事訴訟として取扱わるべきものである。

二、被申請人主張のように土地台帳や野取図がどうであらうと申請人等は本件ABの溜池を別表第二目録記載の農地に従属する農業用施設として占有使用を二百年以来継続して今日に至つたものである、右野取図に村持共有総代末原他二名の記載あるのはABが村の所有であるとの所有権の帰属を定めたものでない。右は租税徴収のために作成された文書であつて村持共有総代なる言葉の意味は

(一)  土地が官有地でなく民有地であること。

(二)  現在の自治体の如き市町村の所有と記載してないこと。

(三)  所有関係は共有であること。

(四)  共有者には総代を定めたこと。

等の意味である。よつて村持共有総代なる用語は部落有及び自治体たる町村の所有関係を定めた用語では断じてない単に徴税関係の文書にすぎないものである。

三、本件ABの下方の土地につきポンプにより配水を受けている事実、ABが一時枯渇していた事実等はあるがこれは何等申請人等の共有権の性質を左右するものではない。即ち

(一)  申請外麻生鉱業のなす配水は鉱害賠償の一方法としたのにすぎない。

(二)  溜池が一時減水した事実がありとするも右は全部の枯渇ではない。

(三)  申請人等を含む各共有者はABの効用を廃止するの決議をしていない。

(四)  右麻生鉱業が配水を中止した場合はABの水を使用する以外に配水の方法が全然ない。

(五)  現に麻生鉱業愛宕炭坑が昭和二十九年中採掘を中止したので水が溜つている事実又右麻生鉱業は採掘中止のため配水を中止する申込が他部落にあつた事実。

以上の諸事実により本件ABは二百年前築堤当時より今日まで引続き溜池として使用され溜池たるの性格を失つておらず従つて申請人等の共有権の性質を左右するものではない。

四、(一) 本件ABの溜池は前記のように申請人等の共有に属するから昭和二十二年政令第十五号の適用はない、右政令施行当時鯰田区財務委員会副委員長水ノ江時雄は鯰田所在の部落有の山林原野は右政令の適用をしたが本件ABは申立人等の共有に属するものとして右政令の適用から除外したものであるとの言によるも明かである。従つて右ABの土地は右政令により被申請人の所有となる道理は存しない。

(二) 右政令第十五号は昭和二十七年四月二十八日平和条約第五号の公布により失効した。然るに被申請人は昭和三十一年十月十二日失効後の政令に基き本件ABにつき各種の登記がなしているのは不当であり、その登記原因は無効である。

(三) 右のように右政令有効期間内に所有権の帰属を定めず登記手続をなさず放置し政令失効後に登記をなしたのであるから被申請人は右政令失効当時において本件ABに対する所有権を放棄したものと解すべきである。

五、農地法福岡県水利条例及び土地改良法によれば農業用施設たる潅漑用溜池の効用を廃止するに当つては一定の手続を要し水利権者たる申請人等の同意を必要とするに拘らずこれをなさず飯塚市議会はAの溜池につき公用廃止の議決をなしオートレース工事にとりかゝりAの埋立工事に着手したのは申立人等の水利権を侵害した違法の行為である。

六、仮に被申請人主張のように本件ABが形式上被申請人の所有に帰属するところとなつたとしてもこれが為に住民の入会権が所有権たる本質を失い他物権となつたものとなすことはできない。入会地に対する利用権が旧来の慣習に従い依然として住民に帰属している限り入会地に対する地方自治体の所有権は実は真の所有権でなく単に各目的に所有するだけの形式的権能にすぎないものである。従つて市町村議会の議決のみに基き入会関係の変更又は廃止することはできないのであつて関係住民全員の同意を必要とするものである。

七、申請人等の本件ABに対する水利権は消滅したことはない即ち

(一)  本件AB共相当量の貯水がある現状で申請人等の所有田には被申請人主張のようなポンプによる給水はなされていない。

(二)  本件ABは所謂二段溜池であつてAはBの水源的役目と補助的な役目をもつており、形は二つであるけれども実は一つの溜池である。巨大な土管により通水されその作用は(イ)Bが満水しないときはAの水がBに流れる、(ロ)Bが満水すればAに通水して貯水の増加をはかるものである。

(三)  右(一)(二)の事実及び前述三の各事実よりみれば申請人等のABに対する水利権は消滅したというべきではない。

と述べた。<疏明省略>

被申請人代理人は主文同旨の判決を求め

第一、地方自治法第二百九条第二百十五条によれば市有の営造物について旧来の慣行によつて市住民の中特に之を使用する権利を有する者がある場合市議会の議決を経て旧慣を変更又は廃止したときこの処分に対し異議があるものは先ず市長に対して異議を申立てることを要し市長の決定に不服がある者は県知事に訴願しその裁決に不服がある場合に始めて裁判所に出訴することができるものである。つまり訴願前置主義である。しかるに申請人等の本件主張は被申請人の溜池公用廃止決定が不当であるとの前提に立つものであるから右地方自治法の適用を受けるに拘らず異議並びに訴願の段階を省略して直ちに裁判所に出訴している。よつて本件申請は違法である。

第二、申請人等主張事実に対して

一、第一の事実中A及びBが古く溜池として築堤されたものであり登記簿上Aについては雑種地、Bについては溜池として登記されていることは認める。

二、第三の事実中被控訴人が約三年前より飯塚市内にオートレース場をつくる必要を感じ昭和三十一年十月二十一日よりその工事にかゝりその敷地としてAの溜池の潰廃に着手したことは認める。しかしながらその余の申請人等主張の事実はすべて争う。

第三、被申請人がオートレース場を設置するに至つた経緯を略述すれば昭和二十八年二月頃飯塚市議会内外より市財政収入の増加を図ることを目的とするオートレース場設置の気運が昂まり市議会は昭和二十九年九月満場一致でその誘致を決議し通産省より設立の許可を受け、市議会において設置に要する予算案を可決しその敷地として本件ABを含む飯塚市大字鯰田所在の山林等の土地を選定しこれが用地となすことに最終的決定をみるに至つた。

又通産省より該工事期間を昭和三十一年十二月二日までと延長することにつき承認を受け申請外酒井建設工業株式会社に全工事のうち土木工事につき請負をなさしめることに決定同会社は同年十月二十一日よりブルトーザー数台を使用して整地工事を始めたが申請人等外数十名の者が右工事の遂行を妨害しそのまゝの状態で今日に及び実力妨害を継続している。

第四、本件係争土地の沿革及び申請人等との関係につき詳述すれば

一、A及びBの溜池は共に古くから鯰田部落有財産として同部落がこれを管理してきた溜池であつた。即ち明治二十年頃作成の嘉麻郡鯰田村の総丈量反別野取帳にはABの所有者として村持共有総代末原権右衛門、阿部市兵衛、田中佐助と記載され、又飯塚市にある土地課税台帳には嘉穂郡笠松村役場当時の用紙に、A、Bにつき、所有者として笠松村大字鯰田と記載されている。鯰田村は合併により笠松村大字鯰田となり次で合併により飯塚町大字鯰田となり次いで飯塚市の市制施行により飯塚市大字鯰田となつたものである。従つて前記の村持共有又は大字鯰田とあるは大字鯰田の部落有と解すべきである。又申請人等が本件申請直前申請外福岡県農地部農地開拓課に宛て提出した書面中にA、Bが鯰田区有なることを自認していることによつても明かである。

二、ところでAは二十数年前より水が枯渇して全然溜池としての用をなさず、Bも昭和七、八年頃から附近に麻生鉱業株式会社愛宕炭坑が開坑されるに至つて間もなく漏水のため枯渇するようになつたのでこれも亦溜池としての効用を殆んど便じなくなりその下方の耕作地の約半分位は同炭坑よりポンプによる給水を受けてその潅漑をなしている現況である。

三(一)  終戦後昭和二十二年五月三日施行の政令第十五号により部落会に属する財産は所定期間の経過と共に、市町村に帰属することとなつたが、本件A、Bも同年七月三日以降被申請人に帰属するに至つた。即ち

(二)  戦時中隣組が組織されこれを統合するためにその上に市部では町内会ができ又大字内に数個の町内会がある場合その連合会を作つて大字内の事務一切を統合処理し、従前の区長制度は廃止され、依つて国民が一致団結して戦争の遂行に邁進したことは一般に顕著な事実である。大字鯰田においても之が例外をなすものでなく多数の隣組と数個の町内会並びに町内会連合会が組織され当時の区長が町内会連合会長に就任して区の事務一切を引継ぎ、殊に部落有財産も引継が行われた。大字鯰田の財産というも鯰田町内連合会の財産というも唯単に呼称を異にするだけで地域と住民は同一であるから権利の全体と目的物には何等変動はない。かゝる関係にある財産は前記政令十五号の適用について町内会、部落会又はその連合会に属する財産と解するを相当とし、従つて従前大字鯰田部落有であつたA、Bも飯塚市に帰属したものというべきである。

(三)  しからずとするも大字鯰田において区長制度が廃止され区長が町内会連合会長に就任して区の事務特に部落有財産に関する事務が連合会長に引継がれたのであるから、仮令公簿上所有名義が「大字鯰田」或は「村持共有」となつており、これが変更されていないとしても爾来前記政令第十五号の実施に至る間は鯰田部落有財産に関する一切の権能の実体は、鯰田町内連合会に帰属していた(他に部落有財産を処理する機関はなかつた)のであつて部落有財産は鯰田町内連合会に属する財産となつたものというべく、従つて右財産か右政令第十五号第二条の適用を受けて被申請人に帰属するに至つたこと当然である。

(四)  又鯰田町内連合会は右政令の施行後二ケ月内に所有財産の中宅地原野等はそれぞれ構成員の議決によつて処分したが、本件A及びBはその性質上処分することが妥当でないので残存されたのである。

四(一)  Aは未登記のまゝであつたから鯰田部落は昭和三十一年十月十二日これを雑種地として保存登記をなし、その上で同日附前記政令に基き取得者被申請人のため所有権移転登記手続をなした。被申請人はこれに先だち同年九月二十八日市議会の議決を以てAにつき公用廃止の処分をなした。

(二)  被申請人はAにつき雑種地として登記しているのであるが、前記のようにAは既に枯渇し溜池の用をなしていないから、雑種地として登記したこと当然である。又右政令失効後に登記がなされても有効でありもとよりこれにより所有権を放棄したというべき筋合のものでない。

第五、これを要するに

一、本件A、Bは申請人等の共有に属すると主張するけれども

(一)  本件A、Bは少くとも明治二十年野取帳作成の時期頃鯰田の村持に属しその後昭和二十二年政令第十五号施行当時までは鯰田の部落有財産であり同令施行後被申請人飯塚市に帰属するに至つたことは明かで、申請人等の共有に属するに至つたことは未だ嘗てない。

(二)  A、Bは共に古くから鯰田部落の所有として同部落がこれを管理してきたのであつて取得時効の完成により、申請人等の共有に帰したものでない。

二、申請人等は本件A、Bを申請人等の入会権の対象であると主張するけれども

(一)  そもそも入会権とは一定区域の住民が一定の土地に立入つて共同収益をなす慣習法上の権利を指称するものであつてこれにつき学説、判例も争いがない。

(二)  而して申請人等の本件A、Bにつき主張するところは、A、Bが過去において溜地としての効用を持続していた時期において、これが溜水を自己の耕作地に引水して潅漑の用にあてゝいたというにあり畢竟溜池の水利を利用していた関係にすぎないのであつて申請人等が本件土地に立入りその土地内にある草木等を採取し、収益していたということではない。

(三)  従つて申請人等の本件土地に対する権利は入会権ではない。

三、申請人等はA、Bにつき水利権を有すると主張するけれども、かゝる水利権は認められない。本件A、Bが鯰田の部落有に属していたときに申請人等が耕作地にその溜水を引水して潅漑の便に供していた慣行が水利権の発生をみたとしても

(一)  昭和七、八年頃よりAの水は鉱害により完全に枯渇し他の効用を失つたことに確定しているから少くともその後前記申請外麻生鉱業株式会社がポンプ給水を開始した昭和十年後以降右水利権なるものは消滅に帰している。

(二)  仮に右事実によつて水利権は消滅しなかつたとしても新に所有者となつた被申請人が昭和三十一年九月二十八日飯塚市議会の議決によりAの旧溜池の公用を廃止した事実によつて水利権は消滅した。地方自治法第二百九条第一項の規定によれば議会が市の財産又は営造物の旧慣による使用権を廃止するについてその関係人の承諾を得なければならない定めはない。従つて右議決につき利用者たる申請人等の承諾を必要とする理由はない。又申請人等の被申請人所有の営造物である本件Aについての使用関係は公法上の権利関係に属するものであるから、公用廃止の処分によつて当然消滅し何物も存しない。

(三)  溜池は農業用施設ではない。従つてその現状の変更等にあたり、農地法所定の手続を履践しなければならない理由はない、又Aは既に二十数年来溜池としての用を廃しているのであるから農地法及び土地改良法所定の手続を履践する必要はない。又福岡県水利条例なるものは制定されたことがない。

四、Bについては被申請人はこれが埋立をせず現状のまゝで残置されるのであるから仮に申請人等がBにつきその主張のような権利関係を有するとしてもこれが侵害ありとなし得ず、Bについては、本件申請はこの点において失当である。

第六、仮処分の必要性は全くない即ちAは既に二十数年前より完全に枯渇して溜池の用をなさざるに至つており又Bも又同様枯渇していること並びに申請人等の耕作地に前記申請外麻生鉱業株式会社よりポンプ給水が現に行われていることは既に明白なる事実である、然して被申請人はAのみの公用を廃止しこれをオートレース場の用地としようとしているのである。このため前記会社が将来右ポンプ給水を停止するおそれがあるというのは何等の根拠もない臆説にすぎない。申請人等は今枯渇廃用中のAが埋立てられ他に転用されることについて事実上何等の影響も受けない。又Bは被申請人として現状維持の態度を持つているからオートレース工事とは何等の関係もない。いずれにせよ申請人等が本件A、Bにつき緊急に仮処分命令を仰ぎ被申請人の右工事を直ちに停止せねばならない必要に迫られているという事情は全然存在しない。即ち本件仮処分は緊急性がないものである。

と述べた。<疏明省略>

理由

第一、被申請人が主張するように本件申請が不適法であるかどうかにつき考えてみるに申請人の主張するところは被申請人が申請人等の共有する本件ABの埋立工事に着手し右溜池に対する申請人等の共有権、入会権、若くは地役権の性質を有する水利権を侵害するに至つたのでその妨害の排除を求めることを本件申請の理由としていることはその主張自体に徴し明かである。共有権、入会権が物権であることはいうまでもないが申請人の主張する水利権も一種の慣習法上の権利として地役権的性質を有するものと解するを相当とする従つて物権的効力を有し権利の侵害者に対し妨害排除を請求しうるものと云わねばならない。しからば本件は物権的請求権の一体様たる妨害排除請求権を被保全権利とする仮処分命令申請事件ということに帰着する。それ故に被申請人主張のように地方自治法の適用を受けないこと勿論であるから異議訴願等の手続を要せず直接裁判所に保全請求を為し得ること多言を要しない従つて申請人等の本件申請は適法であるものと云わねばならない。

第二、一、そこでABの土地が申請人等主張のように申請人等を含む別紙第二目録記載の農地の所有者及びその小作者等の共有に属するものかどうかにつき案ずるに証人水ノ江時雄の証言及び申請本人崎田勘太郎の供述中には右主張事実にそう部分があるけれども成立に争のない疏乙第二十三、二十四号証の各一乃至三、同第二十七号証、同第二十号証の一、二及び証人白石新六、同松岡芳美の各証言等を綜合すると明治二十年頃作成の嘉麻郡鯰田村の野取帳中に本件ABにつき村持共有総代なる記載のあること飯塚市備付の土地台帳中に嘉穂郡笠松村役場と刷込んである用紙に本件ABにつき所有者として大字鯰田なる旨記載があること。

鯰田村が笠松村に編入され更に飯塚町と合併して飯塚市となつたこと。従前より鯰田区委員会が本件ABにつき同鯰田区所有地としてその世話をなし番人を出し区より毎年手当支給してきたこと等が認められるまた右事実に対比して前記申請人等の主張事実にそう証人水ノ江時雄の証言(後記措信する部分を除く)及び申請人本人崎田勘太郎の供述はいずれも措信しがたく成立に争のない疏甲第三十一乃至三十四号証は前記認定の事実に対比して疏明するに足らず他に申請人等が主張するように本件ABが申請人等外十数名の共有地であることを認めるに足る措信すべき疏明はない従つて此の点に関する申請人等の主張は採用し得ない。

二、次に申請人等が時効完成により本件ABに対し共有権を取得した旨の主張について考えてみるに証人水ノ江時雄(後記措信せない部分を除く)同白石新六の各証言によれば鯰田区委員会が本件申請人の一人である崎田勘太郎を本件ABの番人となし毎年その手当を支給していたことが認められる(右認定を左右するに足る疏明はない)そして此の事実に併せ前記一において認定した各事実を綜合すると申請人及びその前占有者等が本件ABに対し真に所有の意思を有したものとは到底これを信じ得ないのである、此の認定に反する証人水ノ江時雄の証言、申請本人崎田勘太郎の供述は措信しがたく成立に争のない疏甲第三十一乃至三十四号証等は未だもつて申請人等の右時効取得の主張事実を認めるに足らないまた他に右主張事実を認めるに足る疏明は存しない従つて此点に関する申請人等主張も亦これを採用し得ないのであるしてみれば申請人等の本件ABに対する共有権の存在に基く本件仮処分の申請は理由がないものと言わなければならない。

第三、次に申請人等の入会権の主張について考えるに民法上の入会権とは一定の地域の住民が一定の山林原野等に於て共同して収益を為すことの出来る慣習上の権利をいうのである。しかるに申請人等が主張するところは申請人等若くはその先代が本件ABを溜池として使用しこれより自己の耕作地に引水して潅漑の用にあてゝいたこと即ち本件ABを溜池としてその水利を利用していた慣行をとられてこれを入会権と主張するものであつてその土地内に入会つて草木等を採集し収益していたというのでもなく又その溜池から漁類等を捕獲していたのでもない。従つて単に水利を利用していた慣行を以て入会権なりと主張するのであるから民法の所謂入会権には該当しないものと解するのが相当である。従つて申請人等本件ABに対し入会権の存在を理由とする本件仮処分申請は失当で理由がない。

第四、そこで申請人等の地役権的性質を有する水利権の主張につき考えるに

一、成立に争のない疏甲第三十一乃至第三十四号証及び弁論の全趣旨を綜合すると申請人等は長年に亘り本件ABの溜池から別紙第二目録記載の農地の潅漑用の配水を受け今日に至つたことを認めることができる而して此の認定を左右するに足る疏明はない。しからば右は申請人等が本件ABにつき潅漑のため耕地に配水を受ける一種の慣習法上の権利(以下単に水利権と略称する)を取得し此の権利は右農地の所有者のみならずその小作人等もこれを取得したものと解するのが相当であろう、従つて申請人等は本件ABに対し斯る水利権を取得したものと言わねばならない。

二、そこで申請人等の右水利権が被申請人主張のように現在既に消滅したものかどうかにつき考えるに、元来水利権なるものは水の存在を前提とする権利であるから水源地である溜池の水が自然且つ継続して全く枯渇し溜池としての経済的効用を失うに至りたるときはその事実により右溜池から引用する水利権は当然に消滅するものと解するのが相当であらう今翻つて本件をみるに証人松岡芳美の証言により成立を認めえる疏乙第十九号証の一乃至五及び成立に争のない疏甲第三十一乃至三十四号証疏乙第二十七号証等を綜合すると本件ABは従前溜池として別紙第二目録記載の農地の潅漑用に使用せられていたが申請外麻生鉱業株式会社愛宕炭坑の開坑せられるに及び昭和十年頃鉱害のためAは全く枯渇しBのみにて潅漑の用を果たさねばならぬことに立至り而かもBのみにては別紙第二目録記載1乃至5の農地の引水の用に供し得るのみで其の他の農地においては潅漑用の水にことかくに至つたので右麻生鉱業株式会社と接渉の結果同会社によるポンプ給水を受けることになり現在に至るまで給水が継続されていること。その後も約二十年間Aには水がたまらず経過し今日に於ては池底に草藪、潅木等が生立し溜池としての経済的効用を失うに至つていること、この間Bには水は溜まつていたものゝ前記の1乃至5の農地潅漑に充てられていたのみあつたこと等が認められる右認定を覆すに足る疏明はない。然るときは本件Aに対する申請人等の前記水利権は今日に於ては既に消滅したものとみるのが相当であらうそれ故に申請人等が本件Aの溜池に対し水利権の存在を理由とする本件仮処分の申請はこれを認むるに由なし然れども本件Bの溜池に対しては前段認定のように枯渇の状態に達せず今日までAの溜池から独立して前記農地の潅漑の用を達しているので此の溜池に対しては申請人等の水利権は現存するものと言わなければならない、されど此のBの溜池に対しては被申請人がその埋立工事をなし居らず且つ将来これを埋立てないことは当事者に争がないので被申請人の侵害行為なく結局Bに対する本件仮処分の申請はその必要性がないものと解するの外はない故に此の点に関する申請人の主張は理由がない。

第五、其の余の申請人等の主張は本件ABに対し申請人等が共有権、入会権、水利権等を有することを前提とするものであつて前示認定のように申請人等が斯る権利を有することを肯認し得ない(但しBに対する水利権は除く)本件に於ては既にその前提に於て理由がないから爾余の判断を為すまでもなく失当としてこれを却下し申請費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十三条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 桜木繁次 大野千里 柏原允)

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